とどまる刻
2024/04/12
「理由、言い訳、きっかけ」はどんなに言を繕っても自身以外には「関心がなく・価値がない」ことになるのですが。
前の秋のこと。
毎回動いていた機器の調子が良くなく、それでも何とか写してくれていたのですがとうとう動きを止めてしまいました。被写体を写すことが出来なくなってしまった機器との別れを終えた時、
綴っていた時を立ち止まってみようと思いました。
簡単に被写体を写してくれる機器の代わりを持ち合わせていなかったので「仕方がない」と、何故か言い訳を自身にしながら。
単に日日の記しを綴る気の力が消えていたのだと感じ得ます。
そのまま春を迎え、綴るきっかけは様々ですが、そのひとつとして「大切なことの結びと始まり」が原動となりしばらく遠のいていた「日記」を開いてみました。
開いてみると、頭の中を紐解くようにゆっくりと出来事を思い出します。
空白期間が長くなると綴り方や仕方を覚えていないものです。
日日を写し撮る機器は持ち合わせていませんが、綴れる環境を有難く思い、これからの心覚えと浮かんだ言を少し。付かず離れずを目指します。