焦燥とあこがれ
2020/11/08
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3時20分、配達された朝刊を祖母の枕元へ。
いかに起こさないように枕元へ置くかが≪課題≫です。とはいえ、祖母は朝刊を待ち望んでいるので、起きていても良いのですが。
5時50分の空明り、夜明けがまた少し遅く感じられるようになりました。
徐々に仄白んで空がほのかに明るくなるのは何故か心惹かれます。窓を開けると、風と共に静寂がふと広がったように部屋の中へ入り込みます。
7時の≪珈琲時間≫、皆、天気が気になるようです。
少しでも雨が降りませんようにと、今日は作業を進めたいようです。
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空全体を覆った曇り空は、午後も続きました。
父は柿の木の枝の剪定作業。母は畑で畝を作って、次の野菜のための準備。祖母は落ち葉だらけだった裏庭を掃いてすっきりとさせてくれました。
11月は雨が降っていないだけでも、貴重な日和です。
こういう時、動かない自分が恨めしいです。
みんなそれぞれ忙しそうに労しているのに、何も貢献していないと焦ります。
できることと言えば家の中の掃除機掛けなど、お手伝い程度です。
行動という膨大な活気・気力を起こすには、と、頭で考えている時点で深い沼にとらわれているように思えます。
なるべく負の思考にとらわれず、出来たことに対しての喜びを感じられるように。
「今日も珈琲を淹れることが出来た」「家の中、掃除機をかけることが出来た」書くだけではなく言葉で発します。
祖母は落ち葉掃除の後«ごぼうと人参のきんぴら»を作ってくれました。
今日も作ってくれて感謝しています。
毎日を一途に生きている祖母を見ていると、ちっぽけな自分に嫌気がさすと同時に、祖母がまぶしい存在に映り、「こうありたい」とまた思ってしまいます。
出来るときに、出来ることを。
自分に言い聞かせながら今日も過ごします。